僕らは勇者だったブログ -再び勇者に戻る旅-

ドラクエを通して人生学んでいた事が思いのほかあるのではないかと思いたいマニアックなブログです。 様々な日常をドラクエに当て込みながら、ゆるい感じで書いていきます。

其の2 【許す心】 種泥棒!? ドラクエ7『キーファ問題』を現実に置き換えてみる

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どうも、YU-SUKEです☆ ( ´Д`)y━・~~

 

突然ですが、勇者は何故強いのでしょうか?

と考えてみると、

 

宿命だから? 血筋的に人間ではないから?総合ステータスのバランスが良いから?

 

やはり肉体的な強さだけではなく、

心技一体。心の強さ、器の大きさも重要な項目の1つだと感じます。

 

なので、今回は、勇者特有の『許す心』について考えてみようと思います。

 

決まって、勇者は優しい。やたらと許す。

 

ダイの大冒険の歌にもありましたが、

 

君は~

倒れた~敵に~手を差~し伸べ~

許す~だろう~

おお~勇者よ~

 

・動画

 


Dragon Quest: Dai no Daibōken (ドラゴンクエスト・ダイの大冒険) - Opening TV - Yuusha yo Isoge !! -Jirou Dan

この抑揚である。

勇ましさと優しさの高低差がたまらないです。

 

さてさて、

やはり許す事に関しても、勇者だった僕らはドラクエを通して学んでおりました。

 

しょっぱな少しヘビィな話題になるかもしれないので、書こうか悩んだのですが、

この件で言えば、やはりドラクエ7のキーファは外せません。

 

 

キーファと言えば、

冒険序盤において、頼もしい戦士キャラ。火炎斬り奴です。

 

勇者「おっ、力の種発見! キーファ、君が食べらいいよ」

キーファ「サンキュー!パワーアップした俺に今後ともヨロシク!」モグモグ。

※キーファの力が1あがった。

勇者「」

 

まぁ、そんな事もありつつ、

これからも親友同士、力を合わせていく事を誓い合った仲でした。

 

しかし、彼とは突如お別れが訪れます。

理由は皆さん知っての通り。

いつかピンチの時にかけつけて、復帰するだろうと思っていましたが、

子孫であるアイラがパーティに参加した瞬間、それは叶わぬ事なのだと悟りました。

 

キーファ離脱後、装備品や道具は返してくれるのですが、

使用した種に関しては、すでに彼の血となり肉となっている為、もちろん返ってはきません。

彼は自分の力を、元々の仲間ではなく、新しい仲間(主にライラ)の為に使う人生を選びました。

 

キーファ「わかってくれるよな?」

勇者「」

 

しかしながら、自分の生きる道を見つけたキーファの気持ちも分かります。

(ゲームのシステム的に能力をアイラに引き継いでくれても良いのにと思ったりしますが)

 

 

 

さてさて、一方、私たちの現実世界でも、友達、仕事仲間、チーム、恋人、家族など、

日頃の人間関係において、似たような事件が起こるかもしれません。

 

何かの出来事がきっかけで、別れが訪れます。

良い関係での別れなら問題はありませんが、

相手との関係が悪くなったり、裏切りがあったり、というケースも稀にあります。

 

キーファ離脱時もそうでしたが、突然起こったりするので、心の準備も整ってはいません。

 

その結果、自分の解釈を、

 

あんなに仲が良かったのに。

色々してあげたのに。

気を使ったのに。

期待してたのに。

 

その分を返してもらってないまま離脱するなんて!

 

だから、

 

自分にとって良くない事をした人。

好意や愛情を奪っていった人。

自分の事を大事にしてくれない人。

謝ってくれない人。

 

という風に捉えてしまう事があるかもしれません。

 

ちょっとダークですが、そんな感情になった経験が私にはあります。

 

例えば、キーファがいないから冒険が困難になった。

また、キーファに対してその選択は間違いだったと示したくなるような、

返してもらってない自分と同じ辛い目に合わせたくなるような、

おぉ神よ!この者に罰があらんことを!笑 みたいな。

 

 

しかし、このままでは自分がダークサイドに落ち、そのまま魔物軍に入団してしまいそうな勢いです。ずっと苦しいままです。

ドラクエにおける様々な物語でも、人々のダークサイドな心に魔物が付け込み、問題になったケースが多い気がします。

 

どうしたものかと私は悩む事も多いのですが、これに関しては、

 

起こった事実は変えられないので、自分の解釈を変える。

 

これしかない気がします。

 

例えば、

※なんと!勇者は馬車で交通事故を起こしてしまった。

勇者「いや、事故は無かった」

僧侶「それ隠蔽です」

 

 

事実⇨事故を起こした。

解釈⇨ツイてない。

変える事ができのは、悔しいけど悲しいけど、自分の解釈しかありません。

 

事実⇨事故を起こした。

解釈⇨怪我がなくて良かった。

もしかして、これが神のご加護か。

今後はもっと気を引き締めよう。

誰かに教えてあげよう。

成長できたからOK。等。

 

 

守るべき人や、大きな目的がある勇者にとっては、

悪い出来事であっても、何らかの痛みを伴いながら、それを成長に変えて、前に進んでいたはず。

 

なんという勇者!!

 

 

また、余談ですが、

私的に、面倒くさい時は、

ご縁という形で意味付けするのが、なんだかんだ楽です。

 

その代わり、全て楽観的にご縁の解釈で片付けてしまうと、

プロセス的に何故こうなったか、の検証ができないまま終わっているので、

 

ご縁で片付ける

⇩     ⇧

また同じ問題が起こった場合、応用ができない。

の無限ループにハマってしまい、私の場合、痛い目を見る事が結構あります。

 

 

【まとめ】

一時的にしんどいかもしれませんが、許せない事かもしれませんが、

それでも勇者は許す。許した自分も許す。

もしかしたら、今起こっている出来事は成長の為のイベントなのかもしれません。

成長に変えたから、勇者は勇者になったのかもしれませんね。

 

 

以上、割とヘビィな感じになりましたが、今後は、ゆるさ7割のバランスで書いてく方が良いかもしれません。

 

 

それでは☆ ( ´Д`)y━・~~